2025/7

2024/11

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2024/10

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2020/11

Egyption food

Fatma Hosny Helmy

2020-11-03

As an Egyptian girl lived in Saudi Arabia And had a lot of friends from different countries in the Middle East I’ve tried a lot of tastes . Then when I came to Malaysia there was a lot of options from Malaysian food to Chinese , Japanese , Korean and also Indian food . So I can say that I tried a lot of things but I always have this feelings that I miss my home country food . Egyptian food is so tasty . Maybe it’s for me because I spend my childhood eating it or maybe really it is . But I think everybody lives there childhood food. In Egypt the most famous traditional dish is Koshary it is a Rice with macaroni and lentils mixed together , and on the top they but tomato sauce , vinegar, garlic and crispy fried onion . It’s so famous in Egypt and there is some restaurants in Egypt just for Koshary Only .

The Foods I like in Malaysia

Lim Jian Yu

2020-11-03

In Malaysia, we have a lot of delicious food. Since we have different races in Malaysia, each race has its food. We have Chinese food, Malay food, Indian food, and other local food. One of my favorite food is Laksa. Laksa is characterized by its rich and spicy broth. It was developed under the influence of different culinary traditions. Besides that, I also like to eat Roti Canai, especially when I go to an Indian restaurant where we usually call it ‘Mamak’.

A Nostalgic Dish

Ryan Sim

2020-11-03

Bak Kut Teh, a popular dish consisting of pork ribs and herbal broth, and well known among the Malaysian Chinese populace especially in Klang, has been on my mind a lot recently. Bak Kut Teh has been heavily fused in my childhood since I've lived in the klang valley for my entire life. I have fond memories of eating Bak Kut Teh such as going to corner restaurants with family during the weekends, or having a reunion dinner with relatives living overseas when they're missing the taste of home, or even celebrating occasions with friends after long periods of work and stress. No matter the time or day, Bak Kut Teh always seems fitting for any occasion.

The Unspoken Gem of Vietnamese cuisine.

Syo Sato

2020-11-03

Whenever I ask my non-local friends about their view on Vietnamese food, most of the time, the majority of their feedback includes famous Vietnamese dishes that have been globalised such as Pho (the rice-noodle and broth soup) or the Banh Mi (the Vietnamese baguette sandwich). Rarely, if ever, have I seen anybody mention the dish called “Com Tam”. Com Tam is in my opinion, one of Vietnam's most underrated dishes. As far as publicity goes, it is one of the lesser known gems of the Vietnamese cuisine when it comes to global recognition. Packed with flavour, its history is equally rich as it is delicious. The name Com Tam are literal translations of the words "Com" which means cooked-rice and "Tam" which refers to their fragmented broken grains. Com Tam dates back to the older days where most of the Vietnamese population were poor and couldn't afford full, long-grain rice and hence, the idea of consuming broken grains of rice was implemented as a substitute. Over time however, the fragmented properties of the rice allowed it to form its own identity and in modern day Vietnamese cuisine, broken rice is no longer considered a "poor man's food" but rather an integral ingredient with a unique taste and texture.

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2020/8

2020/7

2019/4

2018/10

2017/8

2014/11

2014/8

Cassava talk at Bao Bab Ghana Kitchen

wing

2014-08-29

Samuel Quarshie orginated from Ghana and he is now settled in Yamaguchi with his wife and kids. They run a restaurant in Yamaguchi city serving authentic Ghana food including cassava. He is very friendly and quite a chatty person. I was brought to his restaurant to try the cassava dish in his restaurant called Bao Bab for the first time. The second time I went to see him to tell him about the cassava project we are doing in YCAM. He was very excited about our attempt to grow cassava in Yamaguchi and he enthusiastically shared his experience of growing exotic plants in Japan. He went on to talk about his farmer father, urban farming, African farmer abused by the modern agriculture system etc. He lamented that Cassava is something very significant for him.

2014/7

memory kitchen〜おばあちゃんのレシピ〜

たえこ

2014-07-09

MEDIA/ART KITCHEN YAMAGUCHI地域に潜るアジア:参加するオープンラボラトリー関連ワークショップ「memory kitchen」は、プロジェクトのきっかけともなったリム・コクヨンの個人的な動機でした。 彼の祖母の語り「マレーシアに日本軍が占領し、キャッサバを主食と命じたという辛い彼女の体験談だったこと。」 彼女が家族の為につくるキャッサバケーキをつくる調理の動き・香り・食べるコントラストからマレーシアの食文化への追体験を試みました。 イントロダクションでは映像メディアから特徴的なマレーシアの食文化・食材・調理過程を考察し日本人にはない調理の手の高さや動きに意識的になることで浮き上がる差異と生活習慣に向き合うことを体験していきました。 現在を生きる私たちですが、過去を知らないことと通りすぎるのではなく過去の出来事それによって平常心を取り返すことがどれほど時間を要するかという現実。ワークショップ「memory kitchen」が過去と現在に誠実に向き合う手立てとできたらとアーティストや井高さんYCAMのみなさんと一緒につくってきました。参加者のみなさんも加わりとても熱いアジアなワークショップとなりました。 ワークショップで再現したおばあちゃんのレシピをここに掲載します。

2014/4

キャッサバと蜂蜜が出会う時

Yap Sau Bin

2014-04-21

クアラルンプールのチェラス周辺の、タマンアングレックの夜市で、タイ風のお菓子を売っている店を見つけた。 定番であるマンゴーと米に甘いココナッツミルクをかけたものの他に、その店では珍しいものを売っていた。蒸したキャッサバを黄金の蜂蜜に漬けたものだ。1パック5リンギットで売られていた。 2014年3月 Yap Sau Bin

2013/10

デザート: Bubur Cha Cha

Adeline Ooi

2013-10-15

子供のころ知っていたことを思い出した。burbur cha cha(ココナッツミルクのデザート)に入っている色鮮やかな「宝石」またはゼリーはキャッサバの粉で出来たものだということを。お母さんとおばあちゃんがburbur cha chaを作っている間に、台所を出たり入ったりしていた。ピンク色や緑色、オレンジ色をしたゼリーを見ているのが大好きだった。あまりにもきれいで、宝石みたいだったから。まあ、食べるのはまた別の話だけどね。 画像はTashcakes.blogspots.comのご厚意によるもの。 Adeline Ooi

それぞれの場所に行くキャッサバ

Yap Sau Bin

2013-10-05

image1: 左:キャッサバの芽 ―バンティンで採取した苗から育てたもの→知識の庭 クリエイティブマルチメディア学部、マルチメディア大学 → Tengku Sabriの庭 →Saubinのアパート 右:Dr. Forest Limの友達の農園で採取した幹 image2&3:芽の下の方から根が映え、大変驚いた。興味深い植物の構造だ。 image4:Saubinのところで。この2週間で根っこが急激に成長し、新しい葉も生えた。-Kok Yoongは右。キャッサバはとても強い植物だ。現在、クアラルンプールのMEDIA/ART KITCHENのオペラシ・キャッサバのインスタレーションが行われているArtRowで植え替えが進行中。

ジャイアントキャッサバ

Ops Cassava

2013-10-04

クリスナ・ムルティが言うには:「キャッサバ?共産主義者かもしれないという理由で牢獄送りにされた兵士にまつわる「お化けキャッサバ」の話を思い出す。彼は人々にキャッサバの栽培方法を教えていた。キャッサバは間違って料理すると毒が強くて食べられないから、 (食べ物の)自給自足をすることが、西洋諸国とたたかう政治運動を実現するためには不可欠だと言っていた。1960年代のスマランの都市部で過ごした僕の幼少期の、当時の状況を理解するのは極めて難しい。 毎週、村の者が道路工事や下水工事とかの社会事業で働き、昼飯にはあの「お化けキャッサバ」を茹でて細切りにしたものがよく出されたものだ。キャッサバという言葉を聞くと、この「共産党軍」の記憶がいつも呼び覚まされる。

リン家のキャッサバ

Ling Siew Woei

2013-10-04

私たちの子供のころと言えば、キャッサバだった。リン家で育った私たちの生活の一部でもあった。祖父は一生懸命に畑を耕していた。家の周りには必ずキャッサバの木があった。お父さんは腕利きの料理人で、料理にとろみをつける時にはいつもキャッサバ使っていた。お父さんが中国から乾燥したキャッサバを袋一杯持って帰ってきたとき、どう料理して食べるのかな?と思った。一口食べてみたら、石のように固いだけではなく、匂いもひどかった!お母さんはベビーパウダーの代わりにキャッサバ粉を使い始めた。どうやら、その裏にはラブストーリーがあったようだ。「1年のうち、何日かしか使えないのよ」とお母さんは言っていた。顔にキャッサバ粉を塗ってみたら、お化けみたいだったけど、確かにひんやりとした。お母さんはよく美味しい匂いのする、蒸したキャッサバをデザートに出していた。私はその歯ごたえが大好きだった。大人になると、他の民族のキャッサバの色々な使い方や調理方法を見るようになった。サミュエルもダニエルもエゼキエルも、近くにキャッサバの木があるから、これを見逃すということは有り得ない。この文化は彼らに受け継がれ、発展していく。 投稿:Ling Siew Woei

2013/9

ニューヨークがビッグアップルなら、マレー半島はビッグキャッサバだ

wing

2013-09-16

学校で私の国(マレーシア)の地図について勉強していた時、地理の先生が西マレーシア (半島)はキャッサバに似ていて、東マレーシアは熊あるいは犬に似ていると面白そうに話したことを思い出す。このおかしな話は私の記憶にすっかり定着し、自分の国の地図を見る度に、私は頭の中で熊とキャッサバを思い描いている。地図は色々な物語であり、まさにこの地図こそが私たちの物語の出発点である。人生の様々な場面において、私たちの世界に対する認識は変わり始めた。学校や童話で学んだ、私たちの国の思い出や知識は、経験と共に成長し、広がり始めた。だから、あなたがあなた自身の歴史と人類の歴史をもっと知る度に、頭の中のこの地図は他の世界のことも含むようになり、遂には輪郭がぼやけて見えてくる。もしあなたの国は地図のどこにあるかと聞かれたら「どの地図にも載っていない。」「本当の場所はどこにもない。」「キャッサバの形が載っているのではなくて、キャッサバの匂い、キャッサバの思い出が載っているんだよ」と答えるだろう。

2013/5

蒸しキャッサバ

Operasi Cassava

2013-05-28

日本統治下のマラヤの話とその時代を生き抜いたお年寄りのお話の中で、サツマイモとキャッサバを耳にした。米が不足して貴重だった当時、サツマイモとキャッサバは米の代わりになる唯一の食糧だった。今では、私たちはキャッサバをお菓子として食べているが、日本統治時代を生き抜いた人々にとって、キャッサバは昔の苦難の日々を思い起こさせる食べ物だ。

日本占領下のマラヤでキャッサバを食べていたこと

Operasi Cassava

2013-05-21

中国系移民の祖母が、1942年の日本の統治下にあったマラヤで、キャッサバと米を食べて生きていたころの苦労話を語る。私は、祖母が曾祖母と共にヌサンタラへ旅をした時の話を、祖母の口から直接聞けることを特別なことだと常々思っている。祖母と曾祖母は、家族の運命を「変える」ために中国から逃げ出し、世界中に散り散りとなった華僑である。 祖母は、日本に統治されていた時代のマラヤで苦労した頃の経験談を伝えて、私達若い世代が、私たちの今の生活により一層感謝するよう願っている。薄れゆく記憶を辿りながら、祖母は当時の思い出を語る。 [音声] (日本統治下の時は)食べるものがない人もいたの。 私はお米と食料があるだけまだ幸せな方だった。 私たちは自分の手で畑を耕し、家族を食べさせた。 キャッサバがあんなに良く育つとは驚いた。 耕す土地を持ってない人たちは飢えていた。 サツマイモとキャッサバを食べていて、とても大変な時だった。 姉妹の一人が日本統治下のマラヤで生まれた。 私たちが所有していた店を引き払い、チェラス通りの9マイル地区へと逃げ隠れた。 私たちの店は日本軍によって占拠され、彼らはそこに自分たちの家族や恋人たちと一緒に住み着いてしまった。 空襲から逃れるための防空壕を掘った。 幸いなことに私たちの家族は米とキャッサバを食べることが出来た。お米を買うお金さえない人がいた。 私のお父さんは賢いから、種籾を隠しておいてね。それを石臼を挽いて、お米を食べられるようにしてくれたの。 私の姉妹は日本人に襲われないように男装しなければいけなかった。

2012/12

キャッサバの詩

Tengku Sabri

2012-12-26

キャッサバの詩 (洪水、おばあさんのお話と腹を空かした友達) 暗い雲と北東の風が 空気を漂う。 薄暗い昼頃から雷がこだまし、 霧雨、どしゃ降り、また激しい霧雨。 海は昨日と同じで酷く荒れ、 太陽は既に姿を消していて、 水はあっという間に大地を覆い尽くした。 寒くて腹を空かせていると お母さんはくわと袋を探していた。 「ほら、全部水浸しになる前にキャッサバを採ってきな」 大洪水が全てを飲み込んでしまう 地面に描いた 物語やその英雄たちも全て 今はもう見えない- 消えてしまった ただただ、寂しさがこみ上げてくる。 「たくさん、たくさん採るんだよ。袋に詰めな、今晩は茹でたキャッサバが晩御飯だよ。マットさんにココナッツを何個かすりおろすように伝えておくれ。それから、ジャックフルーツの葉の若いやつをヤギのためにとってきな。」 夜。雨は降り続けて、肌寒い。 キャッサバのお化けが僕のところにやって来た 頭と体に塊茎を生やした、世にも醜い姿で その子供の頭を刈り取った僕を喰らいたがっている 僕は逃げ出して水がたっぷりと溜まった谷に落ちた。 僕はずぶ濡れで、部屋は水浸しだった。 キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! キャッサバのお化けが呼び続けて 羊がメーメーと大きく鳴く。 「ほら!羊を見ておいで!柵は浮かせるんだよ、羊を地面に縛り付けるんじゃないよ、おぼれ死んでしまうからね」 キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! お化けはそこにいるの? おばあちゃんは毎日キャッサバ を食べているの? 飽きないの? 「そこで遊ぶんじゃないよ、後でうっかりキャッサバのお化けを踏んづけたら、お化けがお前を捕まえて、お前のお母さんがキャッサバを焼いて食べるように喰ってしまうよ」 おばあちゃんは毎日キャッサバを食べているの? 飽きないの? おばあちゃん、おばあちゃん、飽きないの? キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! お米、お砂糖、コーヒーは手に入れるのが難しかった キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! どこに逃げようっていうのさ?こら坊主!ハハハハ… 「そこで遊ばないように、おばあさんに言われなかったかい?傷が見えるだろう?キャッサバのお化けがいるんだよ、飲み込まれなかったら儲け物だよ!」 キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! ゆったりとした午後の風が吹いたので挨拶をした。 返事がないのでまた挨拶をした。 …中から音が聞こえた。 「おや、誰かと思ったらお前さんかい?入りな」 「お兄ちゃんはどこ?」 「家の裏で、キャッサバを掘ってるよ!」 キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャッサバ! またキャッサバ! 2012年12月 TSabri. The Shady Tree Studio

キャッサバチップスの製造

Ops Cassava

2012-12-26

昔、家畜(主に豚)の飼料として、乾燥したキャッサバチップスを製造する工場があった。キャッサバは機械で薄切りにされ、その後屋外のコンクリート製の乾燥場で拡げられ、天日干しにされる。雨が降った時には、薄切りのキャッサバは、大急ぎでシャベルですくい取られ、亜鉛で出来た屋根のような建物の下に積み上げられた。

キャッサバ産業

Ops Cassava

2012-12-26

当時、スペインとポルトガルが主に南米を支配していて、スペイン人は15世紀頃フィリピンに、ポルトガル人は、インドネシアやマレーシア、シンガポールに住む中華系の移民のところに、キャッサバを持ってきたのです。キャッサバはこうしてマレーシアへと伝えられました。 ここからも分かるように、アジアでのキャッサバに関する一番古い記録は1786年のもので、それによると、まずモーリシャス経由で、今スリランカと呼ばれているセイロン島に運ばれたようです。この他にも、キャッサバのルートは2つありました。一つ目の経路は、ポルトガル人がブラジルからアフリカを経由でインドへ運んだルート、もう一つは、スペイン人がメキシコから直接フィリピンへと持ってきたルート。そしてフィリピンから、、、というより実際にはインドからペナンへと運ばれました。そして、ペナンからマレー半島全体に広がって、マラッカでも栽培されるようになりました。 1881年頃、この畑を「金の成る庭」と呼んでいました。キャッサバが伝来する以前は、デンプンは主にサゴヤシから採られていたのですが、サゴヤシは大きくなるのに15年もかかっていたのです。

キャッサバはマレーシアにどうやって来たのか

Ops Cassava

2012-12-26

この国(マレーシア)では、キャッサバのことを“タピオカ”と呼びます。実際、インド、スリランカ、マレーシアやシンガポールのようなイギリスの植民地だった国では、“キャッサバ”ではなくて“タピオカ”と呼んでいます。 “タピオカ”という言葉の語源は、ネイティブアメリカンの“Tipioca”という言葉で、加工されたキャッサバのことをこう呼んでいました。そこから、“タピオカ”という言葉になったのです。もともとは根っこからとれるデンプンのことを“タピオカ”と呼んでいたのですが、今では植物そのものもこう呼ぶようになりました。でも、世界中の人々がこの作物に興味を持ち始めて、それぞれの言語でそれぞれの名前で呼ぶようになったので、マレーシアでは、私たちはみんなが分かるように、“キャッサバ”という名前だけを使うことにしたのです。 フランス人は“マニオック”、スペイン人は“マンディオカ”や“タピオカ”、マレーシア人は“ウビカユ”、インドネシア人は“シンコン”と呼ぶように、いろいろな名前があります。なので、今では、みんなが何のことを話しているのか分かるように“キャッサバ”と呼んでいます。でも、キャッサバにはさらに植物学上の“Manihot Esculenta”という名前もあります。以前は食べられるキャッサバには“Manihot Utilissima”という植物学上の名前があって、えっと、、、もう一つの名前は思い出せないのですが、苦くて毒のある芋と甘くて食べられる芋を区別するための名前がありました。 キャッサバがどこから来たのかという話ですが、もともとキャッサバは南米のブラジルあたりで栽培されていて、そこから南米や中南米の他の地方へ広まりました。でも、キャッサバは熱帯地方でしか栽培できないのです。温帯地方では育たないのです。

2012/9

キャッサバとチーズ

Ops Cassava

2012-09-16

Arie “Bill & Brod” Wibowo (1952 – 2011) (インドネシア) 題名:「キャッサバとチーズ」 歌詞: 愛してると言ってくれた お互いの趣味が合うかどうか考えてみたら 全然合わなかったね パリの香水 イタリアの靴 お上品に着飾る為だって言ってたね だから全部外国産 どこに行っても 楽しいことばかり (コーラス) ぼくはジャイポン*が好きだけど、君はディスコがお好き Oh oh oh oh ぼくはキャッサバが好き、でも君はチーズの方がお好み Oh oh oh oh 素朴なの方がいいんだ 僕は単なる芋男だから 芋男だから *小編成のガムランの伴奏に合わせて演じられるインドネシアのスンダ族の新作舞踊

2011/10

キャッサバを探す森の探検

Forest Lim Yan Peng

2011-10-17

市場でキャッサバの苗木を購入しようとしていたら、百姓が私の事を笑い飛ばし、「苗木は売らないぞ!」と私に言い放った。 苗木を必ず見つけるとあなたと約束していたから、手ぶらで家に帰るのは嫌だった。…私はそのままバンティンの町へと向かった。たった一人で、朝の6時に遠く離れた町へ向かうのは怖かった。 午前7時15分にスンガイランに着いた。ジェンジャロムとスンガイランにある村々とクアラランガット周辺の村々を訪れた。道中、道端の下水路に捨てられていたキャッサバの苗を見つけた。車を停めて、庭に植えるための苗木を出来るだけ多く拾った。偶然にも生姜農園を見つけたのでそこに立ち寄り、生姜の苗木とヤムイモの苗木を買い、家の庭に植えることにした。 行き当たりばったりの旅だったので、生姜農園など、今回訪れた場所の行き方は覚えていない。 やっと、キャッサバの栽培が出来る… この計画は私に感動と勇気を与えてくれた。写真は、私が通行人に頼んで撮ってもらったものだ。 2011年10月17日 Forest